外語マガジンsakuya

「フリーランスとして生きる」

彼女が実践するのは、ひとつの仕事に縛られない自由な働き方。
繋がっていく信頼関係を手繰り寄せるように、ある種「季節労働」的に働く生き方は、
ひとつ所に留まって働くという私たちの固定観念をするりとすり抜けていく。

持木百合香プロフィール

持木 百合香
国際文化学科比較文化専攻ハンガリー語・2005-2009在学。

1986年生まれ。長崎県の五島列島出身。在学中に間谷祭実行委員、がいごのすゝめ2009代表などを務める。卒業後は寝具メーカーに就職、生産管理・MD・販促部門を経験。退職後、ひとつの仕事に縛られない働き方の可能性を見出す。現在の仕事はシェアキッチンの企画運営・雑貨作り・ワークショップのコーディネート・Barアルバイト・デザインなど。無類の小鳥好きで、文鳥・ホオミドリアカオウロコインコ・セキセイインコの3羽とともに暮らす。京都市在住。

インタビュアー:菊池藍(夜/中国語 2011年卒)

さっそくですが、持木さんは何年入学ですか?
2005年入学の2009年卒業、意外とストレートなんです。休学しようとも思ったけど意志薄弱により…笑
え、めっちゃ意外です!休学してそうなイメージ(笑)。専攻は比較文化ですよね?
えーと、外国語学部、国際文化学科、比較文化専攻、ハンガリー語です。でも今の子に比較文化とかいっても通じないんよね…。
合併でなくなっちゃいましたもんね…。学生時代はどんなことをしていましたか?
1・2年のときは間谷祭実行委員を、3年からは『がいごのすゝめ』に関わっていました。イベントの時だけ活動するファッションサークルにも入ってましたよ。あ、あとなぜか最後の一年は美術部に入ってたわ…。軽音とかフットサルとかそういうずっとやるようなサークルには入らず、季節的に活動するサークルとか団体に入ってたので、今とあんまり性質は変わらないかもしれないですね。
インタビュー風景
『がいごのすゝめ』とは?
阪大との合併が決まったころに始まった、外国語学部生のためのイベントです。音楽やダンスのステージと、美術系サークルの展示の両方が楽しめる空間。私が代表だったときは『プロムのすゝめ』というタイトルで、その名の通り「プロム=卒業生のためのパーティ」がテーマでした。各々サークルで追いコンとかはやってたと思いますけど、卒業生を祝ったり淋しがったりする場って意外となかったんですよね。サークルの外にも素敵な先輩はたくさんいましたから、そういう意味ではやって良かったかなと思っています。
代表としてどんな活動をされていたんですか?
柄にもなくイベント前日にみんなに電話をかけたりしてたよね(笑)。あと音楽班・ステージ班・広告班とか、各班のリーダーたちを「マトメルズ」って呼んで、週に1回「マトメルズ会議」というのをやってました。家に集まって皆で話し合って、その後飲み会をして、朝まで寝呆ける…という、青春やったねあれはー。(笑)
あはは(笑)楽しそう!そのときは将来何がしたいとかあったんですか?
将来かー、、私小学生くらいから『絶対結婚できひんわ』っていうのをずっと思い続けてて(笑)。だから一人で生きていけるようにはしていきたいなと思っていました。だからちゃんと働こうとは思ってましたね。
インタビュー風景
そして卒業後、就職されたんですね。
そうですね。インテリアが好きだったし、繊維関係が好きだったので寝具メーカーに就職しました。
そこには何年いたんですか?
4年4ヶ月。不吉な数字ですね(笑)
4年4ヶ月!長かったですか?
そうねー。そのときは長いとは思ってなかったけど、振り返ってみたら長かったかもしれない。その間の記憶がないもんね。辛かった記憶は抹消されているので(笑)
うわー…(苦笑)。何職だったんですか?
わりと転々として…。生産管理をやったり、MDもちょっとやらせてもらったり、最終的に販促にいって、SP(セールスプロモーション)部に入って、、そこが一番肌に合っていましたね。
辞めようと思ったのはなぜですか?
自分のことがどんどん嫌いになっていってたし、去勢されてるような気がしていたんですよね。自分が好きなモノづくりとかも、あまりできなくなっていたし。。そういえば鳥を飼い始めたのはそのころでした。
退職した後は、どうされたんですか?
失業手当が出るまでの3か月間は何もしてなかったです。風邪ひいてました(笑)
辞めて何かをしよう、という考えはあったんですか?
とくになかったんです。でもたまたま前の会社の取引先の人から、会社のHPを作ってくれないかと言われて。別に特別なスキルがあったわけじゃないんですけど、素人でも作れるHPってあるじゃないですか。文章を書いて写真とか配置するやつ。それを依頼されたときに、あっ、こっち系いけるんじゃないか?どこかに所属しなくてもやっていけるんじゃないか?って思いました。
でも退職後も直接仕事の依頼があるなんてすごいですね。
販促の部署にいたから、外との繋がりはあったんですよね。あと、実際よりできるっぽく見せるの得意やねん私(笑)。だから声かけていただけたんやと思います。デザイン会社からもちょっとしたライティング(文章作成)のお仕事をいただいたりしました。
失業手当が出てからはどうしていたんですか?
失業手当をもらいながら、WEBデザインの職業訓練校に3ヶ月通っていました。といっても即戦力になるようなものではなくて、基本的な知識を学ぶって感じでしたね。もともとIllustrator、Photoshopは使えたので、ちょっとプラスになったかなという感じです。ほかにも、手作り市で販売する雑貨を作ったりして過ごしていました。京都カラスマ大学には、職業訓練前からボランティアスタッフとして参加していましたね。
インタビュー風景
京都カラスマ大学とは?
生涯学習をテーマにしている京都の団体なんですけど、色々な無料授業を開催しているんです。就職してちょっと経ってから授業を受けたんですけど… ─ なんか大学卒業した後って、人の話がすごく聞きたくなるんですよね。講義が恋しくなるっていう(笑)─ 微生物の授業でしたね。そのときにカラスマ大学がスタッフ募集をしていたので行ってみたら…いつのまにか色んなお仕事に繋がってました(笑)
例えばどんなお仕事ですか?
「京都の街がキャンパス、ひとが先生」というのが京都カラスマ大学のコンセプトなので、まちづくりや人と人を繋げるようなお仕事が多いですね。1つは衣料品再生プロジェクト「Re:(リコロン)」。不要な服を集めて、それを欲しい人がもらえるというシステムなんですけど、そのプロジェクトのアトリエ番(運営)を1年半していました。現在は2016年1月から本格始動予定のシェアキッチン「リバーサイドカフェ」の運営がメインの仕事になっています。ほかに、京都カラスマ大学の授業を講師の方と一緒につくり上げる“授業コーディネーター”という仕事もやっています。
フリーランス、ということになるんですか?
そうですよ~。でも、何の仕事してるんですかって聞かれるとめっちゃ困るんです。このほかにも雑貨をつくったり、バーに立ったり、ライティングやロゴのデザインの仕事をしたり。職業「持木」ですって言いたい(笑)。確定申告もちゃんとやっています。会社にいるときは給与明細とかちゃんと見てなかったんですけど、確定申告をすると自分のお金の出入りがはっきり見えるんですよね。仕事も会社から与えられるんじゃなくて、自分で選べます。組織の中にいると、仕事内容って自分の担当する部分だけ切り取られていますけど、一人でやっていると全貌が見えるのがいいですよね。

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