外語マガジンsakuya

「ヒーローを作って生きる・その2」

“これ以上恐れるものはない”
進むべき道を決めた瞬間、彼は全速力で走り出した。

ご当地ヒーローを作る

ヒーローを趣味ではなく仕事にしようと思ったきっかけがあったんですよね。
秋田県に「超神ネイガー」っていうのがいましてね。日本のローカルヒーロー・ご当地ヒーローの元祖で、いまだにナンバーワンのご当地ヒーローなんですけど、それを作った人が書いた『「超神ネイガー」を作った男』という本がありまして。それを読んでみたら、“ヒーローはビジネスに成り得る”っていうことがわかったんです。自分はもう“阪大卒業・フリーター”っていうこれ以上恐れるものがない状態だったので、フリーターすらも辞めて、“地元に帰ってヒーローやろう”と思いました。
なるほど…。
それが2012年11月くらい。12月には大阪のマンションを引き払って北九州に戻って、“もう自分には何もないから早く仕事にしないといけない”と思って、1ヶ月間くらいでバタバタとコスチュームを作りました。その時は大阪から引っ越す費用とかもかかったし、本当に貧乏だったんですよ。なんなら高校生だった弟に5千円くらい出してもらった記憶がありますね。彼はバイトをしてたのかな?とにかく「お前も出資しろ」とかとんでもないことを言って。
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両親の反応
フリーターしてた息子がいきなり帰ってきて、「ご当地ヒーローやる」なんて言い出したら、たぶん、普通の親は「県外の4年制大学行かせといて、それはないだろ!」って怒るところなんでしょうけど、私の両親はすごく私のことを愛していて、北九州に帰ってきてくれるっていのがめちゃくちゃ嬉しかったらしいんですよ。だからキタキュウマンに関してもとても応援してくれて。ただ、稼ぎがなくても生活費を入れろってところは容赦なかったですね。
(笑)
2,3万円で、ぎりぎりの予算で作って、2013年1月、運命の月ですね。キタキュウマンが誕生しました。
キタ旧マン(初代) 初代キタキュウマン

キタ旧マン(初代)

誕生というのは、どこかでお披露目をされたんですか?
えっと、自宅の庭ですね。あと、家を出て徒歩20秒くらいの道端で、母に写真を撮ってもらって、それをFacebookに上げました。
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キタキュウマン誕生の瞬間
いきなりじゃなくてカウントダウンしたんですよ。キタキュウマン誕生まで、「3」で足の部分の写真、「2」で背中、「1」でボディ、「0」で全身、誕生。でもなぜか一度Facebookの投稿が全部消えちゃって、それが正式に何日だったか覚えてないんですよね。一応公式には1月15日ってことにしてます。
おめでとうございます(笑)!
おかげさまで、1ヶ月くらいで「いいね」が数百つきまして。とくに北九州市の関係の人やイベント主催者の目に留まったみたいで、次の月にはイベントに呼んでもらいました。もちろん最初はギャラとかも出なかったですけど。
はじめてのイベントはどうでしたか。
すでにキタキュウマンのことを知っている人たちもいて、写真を撮ってくれたりしました。手作り感満載だったんで、当時は“応援してあげたい”感じのヒーローだったと思います。

ビジネスとして成長する『キタキュウマン』

そこから、どう変わっていったんでしょうか。
その年の3月に、大手ハウスメーカーさんから初めてお金をもらう仕事をいただきました。家を建てたお客さんたちを別府旅行に連れて行くので、その宴会の席に出る、という仕事でした。その後もちょこっとまた仕事が入ったけど、到底食べていけるほどじゃなくて。7月になるとイベント出演が増えたんですけど、でも月収は7万円くらい。で、8月がすごかったんです。20日間くらい稼働して、月収は同級生の給料の遥か上だったと思います。
すごいですね!
その月はキタキュウマンに初めてスポンサーがついたんです。「ワークナイン」さんという地元の人材派遣会社の社長さんが「うちのイメージキャラクターになってください」とメールをくださって。そこから毎月固定でお金をいただけるようになったので、「あ、これでやっと食っていける」って実感しました。私の実家は北九州市の田舎の方だったので、10月には小倉で一人暮らしを始めました。小倉は大阪でいえば梅田みたいな感じで、都会なんです。
順調ですね。
そこから年末年始もお仕事があって、年明けに「グリーンパーク」という北九州市で一番大きな公園がスポンサーになりました。
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グリーンパーク
グリーンパークは北九州市の指定管理公園で、民間企業が管理を委託されるんですが、ある一社がコンペで「キタキュウマンを使って公園を盛り上げます」というプレゼンをして管理権を勝ち取ったので、私の方に連絡がきました。
すごい!またスポンサー!
そうなんです。グリーンパークさんが「ついでに新しいコスチュームを作りましょう」と言ってくれたので、それまで初代、2代目と私の手作りだったスーツを、ちゃんとした造形師さん…じゃなくて謎の企業『ノルトノイン』に依頼して、作っていただきました。そして、新コスチュームお披露目と同時に北九州市の観光大使に任命されたんです。
!?どんどん大きくなっていきますね…!
そこから仕事がめちゃくちゃ増えて、夏もずーーーーっと忙しくて、何回も熱中症になりかけました。
やっぱり暑いんですか。
暑いですね。初代から比べればだいぶ改善されましたけど、それでも暑いのは一生変わらないと思います。
(笑)
それで、収入がえらいことになったんです。もっと広くて立地の良いところに引っ越して、毎日のように外食するようになりました。自炊する暇がないっていうのもあるんですけど、家から一歩出ると都会なんで誘惑が多いんですよ。で、お金があるから毎日飲んじゃうという…
バブリーですね!
ですよね。
今は月にどれくらいお仕事があるんですか?
2014、2015年にみんながすごくたくさん呼んでくださったんですけど、2016年は若干飽きられた感があって、割と暇だったのでちょっと危機感を覚えました(笑)。でも月4回くらいは出動するかな…。多い時は月に20回出動することもあります。やっぱり夏が多いですね。夏休みのイベントとか、お祭りとか。おっきな仕事も増えました。
フラッグやポスターやグッズ

現在ではフラッグやポスター、さまざまなグッズが。

大きい仕事って例えばどんなものでしょうか。
箔がつくという意味では、東京ガールズコレクションに出ました。「変なご当地ヒーローがいる」ってことでミュージックステーションのカメラが北九州まで来てくれて出演したこともあります。あとはZIPとか、有吉反省会で取り上げてもらったり…。「北九州市のヒーロー、キタキュウマンが…」って感じでちょこっと写真が紹介されただけなんですけど、やっぱりメディアに出ると知名度があがりますね。あと、大きな仕事といえば、この辺りは西鉄バスというバスが走っているんですけど―大阪で言う阪急バスですね―去年の夏から契約させていただいてます。
確認なんですが、中の人は、金廣さんじゃないんですよね?
別人ですね。滝夕輝という人です。ちょっと「滝夕輝」を連続して5回言ってみてください。なるべく速く。
タキユウキタキユウキタキユウキタキュウキタキュウキ…!!
わかりましたか?
…はい(笑)
キタキュウになっちゃうんですよ!彼の名前を考えるときに、やっぱりキタキュウマンにちなんだものが良いなって思ったんですけど、人間の名前で「マン」は絶対ないな、と思って…。キタキュウという文字を見てたら、もう「ユウキ」しか見えなかったんですよね。じゃああと「キ」と「タ」だから「タキ」だ、「滝夕輝」だ!って。しかも偶然にもタキユウキの文字の並びは「タキユウキタキユウキ」でキタキュウになってるんですよ!私、これスーパー発明品だと思っているんです。キタキュウマンの知名度が上がったとかそういう功績より何より、一番ひらめいたすごい発明だと思います。これを超えるコンテンツはこれから先きっと出ることはないですね…!
(笑)
ファンのみなさんは「滝さん」と呼びます。
キタキュウマンはスーツを脱いでもいいんですか。
基本的に大丈夫です。でも急に「脱いでください~」って言われて脱ぐことはあんまりないですね。ステージで台本上脱ぐシーンがあったりとか、脱いで喋ってほしいっていうイベント主催者さん側の要望があれば、その都度相談に応じる感じです。
お仕事の打ち合わせやスポンサー契約の手続きなどは金廣さんが担当されてるってことですね。
そうですね。ほかにスタッフを雇う余裕もないし、基本的に全部自分で把握しておきたいほうなので…。人に任せると不安になっちゃうタイプなんですよ(笑)

夢の共演

お仕事していて、一番嬉しかったことはなんですか?
これ、いつも聞かれると困るんですよね…。あーでも、鳥肌が立ったのは、初めてふなっしーさんと共演したときですね。
ふなっしーさん…!
以前、ふなっしーさんが北九州にきたことがあったんです。今だったら絶対にありえないんですけど、キタキュウマンの姿でふなっしーさんのステージの整理券の列に並んだんですよ。こんな機会はないと思って。
えええ(笑)
2013年10月17日だったかな。ちょっと仕事が加速し始めたくらいのときです。
日付を覚えてるんですね。
大事な日なんで(笑)。その日二日酔いだったんですけどね。
二日酔いのヒーロー…。
当日までふなっしーさんがくることを知らなかったんですが、朝Twitterで知って“は!これは行かないわけにはいかない!”って。当時は結構アグレッシブだったんで、何でも飛び込んでいくタイプだったんですよ。くまモンさんが小倉駅にきたときも飛び込みで行ったんですけど、そのときは警備員に「勝手にそういうことされると困るんでやめてください」って言われちゃって。主催者側はとってもウェルカムだったのに、警備員が止めるんで喧嘩になっちゃいました。
滝夕輝

キタキュウマンの中の人
滝夕輝さん

喧嘩したんですか(笑)。
ふなっしーさんのときは、イベントの主催が北九州で一番大きい「井筒屋」っていう百貨店だったんです。井筒屋の方たちはこっち側(北九州側)の人たちなので、どちらかというと私の味方なんです。だから井筒屋の方が「キタキュウマンって知ってますか?今並んでいるので、ステージに上げてもいいですか?」ってふなっしーさんに言ってくれたらしくて。ふなっしーさんはふなっしーさんで、すっごく良い…梨なんで、
梨(笑)。
「あ~…はい」って感じだったらしいんですよ(笑)。でも当のキタキュウマンはそんなこと知らないので、普通にステージを観覧してたんですね。
いち観客として、ですね。
はい。周りは笑ってましたけど。そしたら、ふなっしーさんがMCのお姉さんに「ちょっといいなしか?」って。「さっきから気になってることがあるなっしー。……お前誰なっしー!!」ってこれYouTubeにあがってるんでよかったら見てください。
あっ、はい見ます(笑)。
で、キタキュウマンもキャラがあるので、「誰のこと?」みたいな感じで周りを見渡してたらふなっしーさんが「いや、お前なっしー!」って。そしたらMCのお姉さんが「キタキュウマン、せっかくだから上がってもらいましょうか」って言ったので、そこで「えっ!」ってびっくりしたんですよね。「まじか!」って鳥肌が立ちました。舞台に上がったら、ふなっしーさんに「キタキュウマンは喋れるの?」って聞かれたので普通にマスクを取ろうとしたら、今度はふなっしーさんがびっくりして「え!?」「とんの!?」って。語尾にとくに「なし」とかもなく(笑)。
設定が!(笑)
「まてまてまて!」って言われながらマスクを外して「どうも初めまして」って…。そのやりとりが、一番サプライズ的に嬉しかったですね。いろんなイベントにも出てるし、いろんな人とも共演させてもらってるから興奮したことはたくさんあるんですけどね。
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優しい梨
その後のステージでふなっしーさんが「あれ(キタキュウマン)は舞台に上げざるを得なかったなっしー」って言ってたみたいなんですけど、でもすごく優しい梨ですよね。アポなしで飛び込みでいきなり行くなんて、嫌われる可能性だってあるのに。っていうか私が逆に無名のヒーローからそんなことをされたら怒ると思うんですけど(笑)。でも翌年の7月、ふなっしーさんが福岡にきたときにイベント運営会社からオファーがあって、正式に共演できたんです。
すごいですね…。活動していて辛いときはなかったですか。
活動を始めたばかりのときは、辛かったです。収入もないし。最初はなぜか自信があったんですよね。それこそ「自分は絶対ふなっしーぐらいになれる」って。でもそんなにすぐには結果は出ないし、なかなか食ってはいけないから、そのときはふとした瞬間に憂鬱になるというか。毎日活動で精一杯だったんで、そういうこと考える暇もほとんどなかったですけどね。このままで本当にいいんだろうかって。周りはそれこそ外務省だとか、良い企業に勤めてて、自分は何やってんだと思うことは多々ありました。今はもうめったに思わないです。逆に一般企業に入った方が楽かななんて思うときはありますけど(笑)。でもやっぱり活動していて楽しいし、喜んでくれる人がいるからには辞めるわけにはいかないっていう気持ちの方が強いです。
イベントではどんなことをするんですか?
子どもたちとふれあったり写真撮影をしたり、マイク持ってクイズ大会の司会をしたりします。ヒーローショーも普通にやります。設定上、体が硬いから戦わないんですけど。
そういうヒーローショーとかって、シナリオを考えたりもするんですか?
ヒーローショーは他のヒーローさんと一緒にやることもあるので、その方たちが書いてくれることもあれば、イベントによってはシナリオが決まっていたりもします。例えば救急救命講座とかだと、ショーのなかで心肺蘇生法をみんなに教えるシーンがあったりだとか。あとはワークライフバランスキャンペーンっていう、「仕事と家庭ちゃんとバランスとれてますか?」っていうイベントが毎年あるんですけど、そのときは「働きすぎ」をテーマに、「ヒーローと悪の組織が闘い続けてて、どちらも疲労困憊で実力が出し切れない。“ちょっとお前ら働きすぎなんじゃないか?”とキタキュウマンが問題提起する」とか。こういうのは自分で考えたりしますね。
へぇ~!子ども向けばかりじゃないんですね。
全然!ご当地ヒーローはどちらかというと大人向けの方が多い気がしますね。お子さんと見にきてても、お母さんがファンだったり、っていうパターンが多いです。

ヒーロープロデューサー

インタビュー風景
これからの目標を教えてください。
ほかの地域にもヒーローを作りたいです。これはもうだいぶ前から思ってることなんです。それこそ滋賀県にまた行けたらいいなと。地域活性化とかって今結構いろんなところで謳われていて、頑張っている自治体とかもあるんですけど、やっぱりおじさんたちが主導なんで、センスないところが多いんですよ。PRするって言いながらお金かけるところ間違ってたり…。そんなに話題にもならないのに、なんでそんなところにお金かけちゃうのって。そういう場所にヒーローを作りたいですね。ゆるキャラはもう今どこの自治体でも飽和状態で、作るのにウン百万とか掛かったりするんです。それだったらヒーロースーツ何体も作れますよ。それに、彼らは作って終わりなんですよね。隣の町がやってるから、とか、くまモン人気だからうちもやっとくか、みたいな感じで。でもせっかく作ってもそれを生かす方法を知らないから、もったいないなって。
確かに、今はゆるキャラだらけですよね。
でも、ゆるキャラって基本こう、両腕をバタバタさせるだけじゃないですか。一方ヒーローは腕も手も指も自由に使えるんで、そこが結構大きいんですよ。商品とか名産のPRも自分でできるし、運搬もかさばらないから楽で、使いやすいんですよね。大金を使って生かせないゆるキャラを作るくらいなら、そこにヒーローを投入したいなって思います。
キタキュウマンも地域活性化を目的に始められたんですか。
もちろんです。北九州の知名度を上げるために。福岡って博多とかのイメージが強いじゃないですか。北九州は人口も多いし、新幹線も停まるのに今ひとつ印象がない。全国ニュースで流れるのはどっちかっていうと「ロケットランチャーがみつかりました」とか「暴力団関連の争いがありました」とかいうのが多いんですよね。それを大阪に住んでるときにすごく感じて。「ああ、県外の人はこういう風に北九州を捉えてるんだな」って。それがすごく残念で仕方なくて、北九州に良いイメージをつけたいっていう思いから、キタキュウマンは誕生したんです。最初はもちろんヒーローが好きってところから始まりましたけど、やっぱり地元にヒーロー作るんだってなったら、自然とそういう考えになりました。自分の生活のためでもあるし、自分が楽しむためでもあるんですけど、それが同時に北九州を盛り上げていくことに繋がるのであれば、こんな幸せなことはないなって思っています。
今後は、他地域でもヒーロープロデュースのお仕事をされていくんですね。
そうですね。ヒーロー界の秋元康さんになろうと思います。48体も作れないけど。
大学時代のことで役に立ってることはありますか?
うーん、勉強サボってコスチューム作ってたこととか、インターネットいっぱいしてたこととかは役立ってるんですけど、それはあんまり大学関係ないですもんね…(笑)
そうですね(笑)
ただ、ひとついえるのは、“阪大卒”っていうのは、この仕事をひとりでやり始めるに当たって、すごくアドバンテージというか、後ろ盾になってくれました。やっぱり、大学卒業して社会人経験もない人がこういうこと始めて、イベントしてお金くださいなんていうのは、すごく…怪しいとまでは行かなくても、「大丈夫かこいつ?」って普通の人は思うはずなんですよ。僕も思いますから(笑)。でも大阪大学卒業しましたっていうことによって、態度が変わるんですよ。やっぱりそういうときは一応真面目に大学卒業してよかったなあと思いますね。それは「大阪大学はレベルが高い」っていうのを保ってくれてる先輩だったり同級生だったり後輩だったり、教授のおかげです。感謝しています。
インタビュー風景
今の外語生にメッセージを送るとしたら?
あまりに私は特異すぎる例なので、後輩にメッセージとか恐縮なんですよね。正直みんなほとんど私よりも良い生活を送っていくだろう人たちだと思うんで。ただ、ひとつ言えるのは、私より知名度が上がる人はそうそういないんじゃないか、ということですね。
(笑)
どんなに偉い人になっても、その辺の女子高生が知ってる存在っていうのはなかなかいないだろうし、知名度を上げるっていう点では、私は負けないと思うんですけど(笑)。メッセージ…ですよね。…もし、阪大にいながら、外国語を学んでいながら、全く勉強に身が入らなくて、どうしても気持ちが入ってしまう何かが他にあるなら、それをやっていい、と私は思います。それがもしかしたらプロ級のものになっていくかもしれないし、「大学生だから」とか「現実見ろ」とかじゃなくて、挑戦すればいいと思う。きれいな言葉に置き換えると「夢を追いかけていい」って思います。もしその何かが外国語で、自分はその道で生きていくんだっていう気持ちがあるなら、必死で勉強するべきだと思いますし。もし、私のように仮面ライダーが大好きで、それを仕事にしたいと思うんだったら、例えば阪大卒なら東映とかテレ朝に就職できないこともないと思うので、そっちの道に行ってもいいですし、それが違うなら第二のキタキュウマンになっても良いと思います。とにかく自分がやりたいことがあるなら、それを押し殺すのはもったいない。私はコスプレを趣味じゃなくて仕事にしたからこそ、本物の特撮の映画監督をされてる方とも仲良くなれました。それはやっぱり、やりたいことを趣味で終わらせてたら、ありえなかったことだと思います。
「キタキュウマンのことをもっと知りたい!キタキュウマンに会いたい!」
と思った方は…


キタキュウマン 「キタキュウマン」オフィシャルウェブサイトへ↓
http://www.kitaqman.jp/
キタキュウマンのキャラクター紹介、写真、グッズ販売まで盛りだくさんです…!
大阪への出動もあるので、スケジュールをチェックしてぜひ会いに行ってみてください。
インタビュー中に登場したふなっしーとの共演動画はyoutubeにて「キタキュウマン ふなっしー」で検索です!
今までご愛読いただきありがとうございました!

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