「ヒーローを作って生きる」
大学生という自由な時間にふと思い出したもの。
それは、少年の頃に抱いた“仮面ライダーになりたい”という夢だった。
金廣 邦高
地域文化学科中・北欧地域文化専攻ドイツ語 夜間主・2007-2012在学。
ヒーロープロデューサー
福岡県北九州市出身。同市内にある高稜高校を卒業後、大阪外国語大学へ入学。在学中に仮面ライダーカブトと仮面ライダー電王のコスチュームを手作りし学内で話題になる。卒業後、地元・北九州市に戻り、ご当地ヒーロー「キタキュウマン」を誕生させた。現在は多忙を極めるキタキュウマンの全活動をプロデュースしながら、さらなるヒーロープロジェクト始動に向け動き出している。
インタビュアー:菊池藍(夜/中国語 2011年卒)
北九州から大阪へ
- 大阪外大に行こうと思ったのはなぜですか?
- 高校時代、英語だけが非常に得意だったんです。それも外大に入ってしまえばたいしたことないっていうのがわかってしまったんですけど(笑)。当時は偏差値78、センター本番でも190点取れたので自分では得意だと思っていました。留学経験もない普通の高校生にしては割と英語ができたので、高校の担任は九州大学に行ってほしいと、私のために『九州大学合格プロジェクト』というものを作ってくれたんです。
- すごいですね。金廣さんのためだけに、ですか?
- 他にも生徒は所属していましたけど、「九大狙えるのはあんたしかいないでしょ」っていう感じではありました。そんな僕が大阪外大で外国語をやりたいって言い出したんで、担任は反対していましたね。はじめ東京外大と大阪外大のどちらに行くか迷ったんですが、東京はちょっとレベルが高いし、すごく頑張って合格できたとしても、東京で生活していけるほどうちは裕福じゃなくて。だから大阪外大を志望してたんです。そしたら秋ぐらいに、「来年、大阪大学と統合されます」っていうニュースが入ってきて…。
- 入ってきましたね。
- それを知った担任が「良いでしょう」と(笑)。ああなんか、現金な人だなあと思いました…。
- あはは(笑)
- でも、英語以外の科目が全然国立レベルじゃなかったんです。ちょっとやばいかなと思ってたんですけど、夜間主だったからかな?なんとか入れました。とはいえ前期試験の倍率的には7倍とかだったんです。センター試験が終わると、新聞に各専攻語の倍率が出ますよね。そのときドイツ語専攻の倍率は1.2倍で、他に比べて圧倒的に低かったんです。「これならよほど失敗しない限りいける!」と思ってドイツ語にしたら、会場には相当な人数がいて…、あれ?みたいな(笑)。結果倍率7倍。みんな同じこと考えてたんですよね(笑)。
more大阪大学 1名
当時まだ合併もしていないのに、高校はここぞとばかりに「大阪大学 1名」って公表してました。卒業からもう10年以上経つのに、パンフレットとかの実績に今でも載ってるんです。入学したのは大阪外国語大学なんだけどなあと思いながら(笑)。 - この言語がやりたい!という思いはなかったですか。
- 自分は“外国語を学ぶことが得意”だと思っていたんですよね。単語を覚えるとかそういうことではなくて、なんというかセンス的に言語を学ぶのが得意なんだろうなって。だから別に何語でもよかったんです。専攻語が英語以外でも、英語は少なからず勉強するだろうし、触れる機会はずっと与えてもらえるだろうなと思っていたので、こだわりはなくて。むしろ英語だけで終わるのはもったいないなと。そしたら運よくオシャレなドイツ語に入れたので、良かったです(笑)。
- 実際に外大に入ってみたら、どうでした?
- 想像以上に女子が多くて…。高校のときは勉強勉強な感じで、あまり女の子と喋ることはなかったんです。だから最初は嬉しいとかドキドキするとかじゃなくて、結構おびえてました(笑)。ただでさえ知らない人の集まりなのに、女子ばっかりだから怖くて。
- 元気な女の子が多いですしね。
- うちのクラス(ドイツ語専攻)、結構女子の主導権が強かったと思います。みんなすごい良い人で、男女の隔てなく接してくれてはいたんですけど、やっぱり女子が「今日はこれやるでしょ!」みたいな感じでグイグイいく感じはありました。
- ドイツ語の勉強はどうでしたか。
- まったくできない。
- (笑)。
- たしかに単語とかは、非常に英語と似ているんですよ。近いところがあるなって、毎日毎日思ってたんですけど…。ドイツ語とかフランス語には定冠詞っていうのがありまして、それが非常に面倒くさくて。卒業するまで理解できてなかったです。
moreドイツ語の定冠詞
英語だと、aとかtheと、anとthe[ði]だけじゃないですか。でもドイツ語の場合、たとえばtheという意味のひとつの冠詞があったとして、それに対して男性女性中性と複数という使い分けがあって、さらに「~が」と主語になる場合、「~を」と目的語になる場合って使う場面によって分かれる“格”が4種類あるので、4×4で16個あるんですよ…たぶん。その16個を瞬時に使い分けないといけないから、それがどうしてもできなくて、いつも適当な発音でごまかしていました。 - 卒業するまで(笑)!よく切り抜けられましたね…!
- いつもCばっかりでギリギリでしたけど、専攻語を落とすことはなかったです。でも卒業していまだに、自己紹介も危うい(笑)。
- 言語を学ぶのが得意だろうなと思っていたあのときの気持ちは…
- いや、でもたしかに得意だなと思う瞬間はあったんです(笑)。高校生のときって、得意不得意関係なく、ある程度必死にずっと勉強するじゃないですか。でも大学の勉強って、結構サボっても単位とれちゃう部分があって…そしてさらに遊びっていうものがくっついてくるんで、もう全然勉強してなかったです。本当に試験の前だけちょこっと勉強する、典型的な馬鹿大学生だったから…。そこでやっぱり、自分では言語が得意だと思っていたくせに、まったくチャンスを生かせてなかったことについては、本当に学費がもったいなかったなと思っています。
- 勉強のほかには何をされてたんですか。
- 夏まつり実行委員会に入ってました。2年生から入ったんですが、それまで寮とクラスのメンバーくらいしか友達がいなかったので、そこで友達が増えましたね。
- どんな活動をされてたんですか?
- 遊んでるだけでしたね(笑)。夏まつりって企画の主体は1年生なんです。2年生から入った私は偉そうに指示出すばっかりで、自分では何もしてなかった。飲み会を楽しんでました。
- そうなんですね(笑)。
- 3年生になって、仮面ライダーのコスプレに目覚めました。これが今の活動に繋がるんですけど。
- おお…!
- 仮面ライダーは、小さい頃はそんなに夢中じゃなかったんですよ。その辺の子どもと同じように戦隊モノ全般が好きで、「何とかレンジャー!」とか言うくらい。でも小学5年生のときに、オダギリジョーさん主演の「仮面ライダークウガ」が始まって。これは2000年から始まった平成仮面ライダーっていわれるシリーズの一番最初の作品ですね。当時、ちびっこだった私の弟がそれを見ていたので、一緒に見ていたらハマってしまって。そこからずーっと見てました。中学3年生のときは、“高校に入学したら絶対に仮面ライダーのコスプレクラブを作るんだ”と思ってたんですよ。
- すごいですね!すでに片鱗が…
- 当時からコスプレをしてる人がいるというのは、インターネットで調べて知ってたんです。特に仮面ライダーのコスプレというのは、衣装を裁縫で作るんではなくて、スーツを“造形する”という結構レベルの高いもので、絶対自分もそれをするもんだと思っていました。というのも、私はスポーツとか全然しないので、高校に入ったら何かしたいなと思ってたんです。
- そうだったんですね。
- でも、高校に入学したとたん、九大プロジェクトで勉強ばかりになり、普通の部活動すらもできず…。そこでコスプレ部の夢は叶わず、大学受験で仮面ライダーも見なくなり、いつの間にか忘れていたんです。
more部活に入れない
一度冗談で「テニス部入ろうかな」ってポロっと口に出したら、担任にめちゃくちゃ怒られて…その先生はいまだに怖いですね(笑)。でも彼女は英語の先生だったので、担任のおかげで外大に入れた部分はあります。 - なるほど…。
- 平成仮面ライダーシリーズが10年目を迎えた年、「仮面ライダーディケイド」―decadeは英語で10年って意味です―が放送されたんですけど、それがちょうど私が大学3年生のときだったんです。このディケイドという作品には、10年間のライダーがみんな登場するので、ある日曜日の朝にテレビを点けたらすごい懐かしい仮面ライダーが出ていたんです。「あれ?なにこれ」と思って。見ていたらすーっごい懐かしくなってそこからまたハマって、大学受験から大学2年までのブランクの間の作品も全部見ました。そのなかでハマった仮面ライダーが、水嶋ヒロさん主演の「仮面ライダーカブト」と、佐藤健さん主演の「仮面ライダー電王」。それでまず、“仮面ライダーカブトを作ろう!”と思ったんですよ。
- もともと、工作は得意だったんですか?
- あんまり器用ではなかったんですけど、手作りすることは好きでしたね。釣りが趣味なので、木を削ってルアーを作ったり。高校のときは勉強もしないといけないから時間もなくて、お金もそんなにないから材料も買えなかったんですけど、大学3年のときにふと“あ、今だったらできるじゃん”って思ったんです。勉強しないから時間もあるし(笑)、お金も材料費くらいならバイトで稼げるし、と思い立って作り始めました。
- どんな材料で作るんですか?
- 首からは下は動きやすいように柔らかい素材で作ります。厚さ1.5㎜くらいの硬めのウレタンー低反発枕のもうちょっと固いくらいの質感ですーを切って、ペーパークラフトみたいに立体にするんですよ。その上から生地を貼ります。
- へぇ~!
- 「生地は、光沢のあるレザーとかエナメルとか、金属っぽい質感のものですね。頭もウレタンで作る人が多いんですけど、本格的になるとFRP*1という素材で作ったりもしますね。でも私は当時そんな技術を持っていなかったので、全身ウレタン製でした。
*1 FRP えふあーるぴー Fiber-Reinforced Plastics 繊維強化プラスチック
車のバンパーのプラスチック部分やサーフボード、船などに使われる素材。断熱材のガラス繊維にプラスチックを塗り込んで強化したもの。 - 作り方はネットで調べるんですか?
- そうですね。コスプレしてる人たちがネットにちゃんと手順を載せてくれているんです。レベルの高い人ほどきれいに作っているから、そういうのを参考にさせてもらいながら作りました。
- 一番最初に作ったのが、仮面ライダーカブトですか。
- そうです。学内で着て、ちょっと話題になりました。寮で変身して、“苦しい苦しい”っていいながら階段を下りて、留学生と握手とかしながらずーっと下りて行って、中庭をスルーして、食堂に行って、うどんを注文しました。
- ちゃんと、注文できましたか。
- できましたよ。仮面ライダーカブトの決めポーズが、こういう感じなんですけど(天井を指さしながら下から上へ動かす)、ちょうど食堂のメニューが頭上にあるんで、こうやって指せるんですよ。友人が付き添ってくれていたので、うどんは友人に食べてもらいました。
- (笑)。喋りはナシで?
- 喋りは絶対にできないです。仮面ライダーカブトは水嶋ヒロさんなんで、私が喋ることはできない。
- 設定がちゃんとしてるんですね。
- それはもう、大先輩のキャラクターを守らなければならないので勝手なことはできないです。
- どうでしたか、やってみて。
- 息もこもるし暑いし身動き取れないし、最悪だったんですけど、やっぱり自分がキャラクターになりきってるっていう感覚がありました。“あ、自分が仮面ライダーになった”って。最初の作品にしては見た目のクオリティーも良かったと思います。動きとかは今から思えばもう最悪なんですけどね。
- 周りからはどんな反応が?
- 相当笑われましたね。そういうキャラじゃないと思われていたみたいで、オタクな一面を見せたことでみんなびっくりしてました。moreミスター阪大
私、ミスター阪大コンテストに出たんですけど、そのときに友人に仮面ライダーカブトのコスチュームを着てもらって、一緒にステージに上がって“私がこれ作りました!”って披露したんです。2009年の秋でしたね。 - その後、また別のものを作ったんですか。
- 2010年の初夏ぐらいだったかな、妹が結婚することになって、じゃあ兄にできることは何だと考えたときに“仮面ライダーを登場させることだ”と思って、急いで1ヶ月くらいでパパッと作ったのが、仮面ライダー電王です。
- パパッと作ったんですか!(笑)
- そうですね。電王も全身ウレタンだったんですが、1回目よりきれいに作れました。構造とかは正直まだ全然で、どうしたら動きやすいとかもよくわかってなかったですが、ボンドの使い方とか、生地の貼り方とかが改善されましたね。ウレタンの上から生地を貼ると、やっぱりシワが入っちゃうんですけど、その辺の扱いにだいぶ慣れて、仕上がりはすごくきれいでした。
- それ、寮で作ってるんですよね。
- はい。すごく狭い、5畳くらいのスペースで。だから常にゴミだらけで、毎日ごみ箱の中で寝てる気分でした。
- 楽しかったですか(笑)。
- 楽しかったですね~!本当に毎日楽しかったです。引きこもりがこんなに楽しいとは…。一応授業はちゃんと出てましたよ。でもいつもどこかにボンドが引っ付いてて、ベリベリ剝がしながら授業受けてました。
- 妹さんの結婚式はうまくいきましたか?
- めちゃめちゃ評判よかったです。テーマソングとともに登場したんですけど、すっごい盛り上がって、終わった後に母から「あれがなかったら盛り上がってなかったね」って。うちの妹は若くして結婚して、大学に行っていなかったので、結婚式あるあるの“ノリの良い盛り上げ役の大学時代の友人”っていうのがいなかったんですよね。余興もそこまで盛り上がるものがあったわけではなかったので「仮面ライダーがあって助かった」と言われました。ステージの上でみんなを盛り上げるっていうのを体感したのは、あれが初めてでしたね。
moreカブト・電王のその後
その後は、一度も着なかったと思います。着て演じることよりも作ることが楽しかったので、作っちゃったらもう満足って感じでした。着たら苦しいし、作品として部屋に飾って眺めてる方が楽しかったですね。 - 電王が完成したときは4年生の夏ですが、就職はどう考えていたんですか。
- ちょうどこのころ、釣り関係の企業を受けていました。釣り竿とか釣り針を作っている会社です。バイト先の釣具屋に出入りしている卸問屋さんにすごく顔の広い人がいて、「メーカーとのつながりがあるからこの会社受けるなら言っといてやるよ」ってすごい頼もしい感じだったんです。でも、コネだったはずなのに普通に落とされました。
- あら…。
- そこでもうやる気が完全になくなりました。そしたら当時一番仲良かった友達から「休学してシベリア鉄道でロシア旅行しようぜ」って誘われて。じゃあとりあえずお金貯めないとね、ってことになり、大学休学してお金貯めるためにバイトしていました。そうなると結局フリーター状態ですよね。奨学金も一回ストップしたし、寮も追い出されるので普通に一人暮らしをすることになるから、全然お金が貯まらなくて。しかも遊んじゃうし(笑)。就活ももちろんしてなくて、最悪な状況でした。
- 4年生の秋から休学をしたんですか。
- なかなかぶっ飛んでますよね(笑)。1年休学したんですが、普通にフリーターして終わりました。
- あれ、シベリア鉄道は?
- 行ってません(笑)。在学中、一歩も海外に出てないです。
- 旅行も!?めずらしい!
- そうなんですよ。外大で休学したのに、一歩も外に出てない。東京にすら行ってない。梅田くらいですよ。
- 異色ですね。
- ですよね(笑)。2011年の秋から復学して、半年間授業を受けました。あ、でもその前に一応もう一度就活をしたんです。今度は広告代理店に行きたいと思って、超大手の某社で広告マンになって楽して暮らすんだとか今思えばわけのわからんことを言ってました。ESも筆記も通ったので、面接で仮面ライダーカブトの写真を体に貼り付けて、面接官に熱弁したんですよ。そしたらあまりに興味がなさそうで。これは終わったなと思ったらやっぱり終わってました。本当にその会社に行きたかったら、それですごくやる気がなくなって、結局他の広告代理店の面接は行きませんでした。我々の世代の就活って、何十社とか、多い人は100社とか普通に受けてましたけど、僕はそれができなくて。だって60社受けたとしたら、そのうちの50社はたぶん興味ないと思うんですよ。もしもどこでもいいから入りたいっていうなら、本当にやりたいことがあるから入りたいんじゃなくて、ただ就職したいからってだけじゃないですか。だから僕はそんなことするくらいなら、自分が行きたいところに絞ってそこしか受けないって決めてました。それにしても1社しか受けないっていうのは今から考えるとどうなんだって感じですけど(笑)。…そんな感じで、復学して普通に卒業して、そのまま2012年からも引き続き半年くらいフリーターをしてました。
- その半年のフリーター期間は何かされていたんですか。
- 公務員試験を受けてみたりしました、無勉*2で。ありえないですけど(笑)。釣りが好きなんで、滋賀県の琵琶湖の近くに住みたいと思って。しかもそのとき、帰りに釣りして帰ろうと思っていたので、あろうことかTシャツ短パンに釣りのバッグで、釣り竿はみ出てるし、みたいな格好で行きました…。みんなリクルートスーツとかだったなあ…。
*2 無勉 むべん
全く勉強していないこと。without studying. 受験生・大学生のネットスラングが発祥と思われる。 - ふざけてる!(笑)
- 試験内容どうこうの前に、大阪在住だし、北九州市出身だし、なんの縁もないし、無勉だしで最悪だから落とされるの当たり前なんですけど(笑)。でもなんでそこに住もうと思ったかというと、釣りが好きなのもあるんですけど、そこで公務員として働いて安定した給料をもらいながら、ご当地ヒーローをやりたかった。
- ここでまさかのヒーロー(笑)!何かきっかけがあったんですか。
- いつからか覚えてないんですけど、やっぱりコスプレしながら“オリジナルヒーローを作りたい”っていう気持ちが芽生えていて。公務員になったら週末趣味でやれるなあって。
- そのときは仕事とかではなく…。
- はい。その夢は簡単に打ち砕かれましたけど(笑)。