山口慶四郎名誉教授からのメッセージ

(山口慶四郎 大阪外国語大学名誉教授/ロシア語 からのメッセージです)

咲耶会会員の皆さん

この12月1日に『司馬遼太郎記念館』で開催中の企画展《司馬遼太郎とモンゴル》をご案内する山口慶四郎です。

なぜこの日に見学するかと申せば、丁度70年前に実施された学徒出陣により司馬遼太郎(学友の福田定一君)が外語を仮卒業して兵庫県加古川の戦車第19連隊に入営した日が12月1日だからです。

1943年の学徒出陣の正確な人数を文部科学省も把握していないというが、当時外語で小生が属するロシア語部2学年では26名の在籍者のうち16名が出陣した。残り10名は現役入学生か身体虚弱者。お陰で会話の授業など、指名されるとたっぷりと搾られたものである。この学徒出陣については『外大70年史』に勿論記述されている。

この11月12日の毎日新聞に掲載の『現代史探検・学徒出陣』には、「実は43年10月より前、卒業を繰り上げられ、徴兵されて戦地に向った人もいた。こうした広義の学徒出陣についても、実態は不明なままだ」とある。1942年3月に卒業予定だった学徒の卒業が3ヵ月繰り上げられて41年12月になったのは、この記事に当たらない。ではそれはどういうことなのか。

この1941年12月(8日に太平洋戦争勃発)に繰り上げ卒業予定の前に、英語部と露語部の学生の一部が卒業を待たずに海軍に徴用された事実があるのである。翌42年4月に入学した小生もこのことを暫くして知ったものである。

この徴用のことは『外大70年史』では触れられていないが、それは別のところで活字になって紹介されている。それは陳舜臣著の『青春の軸』(集英社文庫:1993年5月25日第1刷発行)である。

(※書名をクリックしてください。新しい画面で、「青春の軸」についてのページが開きます)

これは陳先輩の唯一の自伝的小説で、主人公の陳俊仁の大阪外語時代が本文243ページのうち後半109ページで記述されている。陳先輩が1年生の夏休みに友人を訪ねて京都に出かけ、円山公園での散歩中の会話として紹介されている。将校待遇の徴用であるらしいとも噂している。

事実は彼らは語学堪能者として徴用されて、間もなく海軍予備学生の第1期生となったのである。

序でに言えば小生は5期の海軍予備学生、敗戦をサハリンで迎えたが、その時の上官の久堀通義海軍大尉はこの徴用組のお一人であった。

陳先輩の前掲書を是非一読されることをお薦めする。