外語マガジンsakuya

「時代を超えて 外国語学部を語る・その2」

上本町八丁目から箕面、そして統合。
流れ流れて、次は船場へ。
経営的視点で見る “外国語学部の今”。

経営のアドバイザーとして、母校へ

現在は咲耶会会長でいらっしゃる少德さんですが、外国語学部同窓会にかかわり始めたのはいつからですか?
2004年の4月より、国立大学が国立大学法人になりましたよね。それにともなって各大学は大学内に経営協議会という組織を持つことになりました。そこに外部の人を入れて提案や評価をもらう、という制度がありまして。4人の経営協議会のメンバーがいらしたんですが、僕がそのうちの1人になりました。それで、学長先生をはじめ、副学長、それから事務局長の方、いろんな方が当時の大阪外国語大学の状況を説明なさってね、僕はそれに対して民間の経営の知恵・経験から提案をしたんですね。まぁ多少は役に立ったかなと思っとるんですが。
インタビュー風景
なるほど。
でも、大阪大学と大阪外国語大学が2007年に統合されました。その時点で、大阪外国語大学の経営協議会の仕事は終わって。4年ほどやったわけだけども、辞めるのもったいないなぁと思って。なんか母校のために仕事したいなぁと考えとったときに、当時の咲耶会の会長であった池田修先生(1993~1999年 大阪外国語大学学長)に「代わりをやってくれへんか」とお声をかけていただいたので、咲耶会会長になりました。

統合で伸びるリベラルアーツ

そういった経緯だったんですね。大阪外国語大学と大阪大学の統合については、どんな風にお考えだったのですか。
“良いなぁ”って思ったんですよ。というのは、大阪外国語大学のときは、教養課程が十分でなかったと思っていたので。
その、教養課程が不十分というのは、在学中に思われていたんですか?
思いましたね。僕の経験から話をすれば、教養課程―リベラルアーツの部分―のプログラムが少なかった。それから先生も、大学専任の先生ではなくて他の大学から教えにきていただいてる先生で成り立っとったんです。例えば民法や貿易実務、近代経済学を教えられる先生たちは、週にいっぺんだけ来られるとかそれくらいでしたから、個人的なお付き合い―お家に伺っていろんなことをお聞きしたり、自分は今こういうテーマで勉強しているんだけどご指導いただけませんかと聞いてもらったり―ができなかった。
なるほど。
先生に親しく師事をして、良い影響を受けて、薫陶を受けて、というチャンスが少なかったわけです。大阪大学と統合されれば、そういった選択肢は非常に広がると思いました。
インタビュー風景
同じ大学に研究室があれば、気軽に聞きに行けますもんね。
そうです。近くに先生がいて教えてもらえるという点では、ものすごくメリットがあるなぁと思います。リベラルアーツは人文科学、自然科学、社会科学とこの3つの分野がありますよね。それを大阪大学の各学部の先生が教えてくださる。幅広い分野において十分な教授陣がいらっしゃるから、他の大学の先生が出前で教えにきておられる場合とは大分違いますね。そう思いませんか?
私が在学中にそんなに向上心をもって一般教養を学んでなかったからだと思うんですけど…(苦笑)、そんなに「足りない」っていうのは感じなかったんです…。
まぁ、僕の時代と比べて随分良くなっていたのかもしれません。あなたの時代はリベラルアーツの先生の数も増えて、プログラムももう少しバラエティもあって、内容も豊富になってたかもしれませんね。それでもやっぱり大学1・2年生のリベラルアーツっていうのは、良い先生に就いて教養を身につけることで視野が広くなって、バランスの取れた判断力がつけられることが理想ですよね。これは重要なベネフィットになりますから、やらないともったいないですよ。
なるほど…。
リベラルアーツは大学1・2年生のときに勉強するわけですけど、あんまりすぐには役に立たないんです。社会に出てね、仕事を通じていろんな人と交わる際に、幅広い教養があると自分からいろんな会話に積極的に入っていって、自分自身のプラスになるものを身につけることができます。または自分から相手にプラスを与えるような行動ができるんです。それは社会に出ていろいろ活動をしてみないとわからないことですけど、そういう面でリベアルアーツっていうのは非常に重要なので、私は大阪大学と大阪外国語大学の統合の最大のメリットがそこにあるんじゃないかと思います。
私自身、入学したときには既に統合が決まっていたので抗い様がなかったんですが、外大独特の空気というか、良くも悪くも他人との垣根が低いというか、そういうのがなくなるのは寂しいな、っていう思いであまり統合には賛成していませんでした。当時、反対意見もたくさん出ていたと思うんですけど、それについてはどう思われましたか。
まぁどちらかというと、反対意見の核にあったのはノスタルジアな気持ちですよね。「大学の名前が消えるのが寂しい」とか、統合前の卒業生なら「上八(上本町八丁目)の校舎が懐かしい」とかね。あと大きな大学のなかに吸い込まれて、外国語学部の個性が没してしまうのちゃうかとかね。
そういう気持ちはあったように思います。
わからなくはないんですけど、それよりも大学が引き続き発展して、生存し続けることができるのかどうかです。「単科大学であれば、小さいけど独立して運営ができるけれど、大阪大学のように組織も大きい総合大学のなかでは、ひとつの学部としてどれだけ自主性が維持できて、イニシアティブが出せるのか」ということが心配だったんでしょうけど、しかし単科大学のままで、生き残らなければ意味がないですよね。
私自身、統合したからこそ出会えたものもあります。自分と異質な存在―理系男子とか(笑)―への理解が深まったとも言えるかも。
いいね、その発想は。前向きでポジティブでいいじゃないですか。
インタビュー風景
もともと上本町にあった大学が、1979年に箕面に移転しましたよね。それを聞いた時はどう思われたんですか。
良かったなぁって。というのは、上本町八丁目のあの学舎は、あんまり勉強に適したところではなくて、遊びに適したところで。
そうなんですね。
あれ以上、自然も増やせないですしね。箕面ならキャンパスらしいキャンパスができるんじゃないかと思いました。ただ、箕面はちょっと不便ですよね。
はい(笑)。また2021年に船場に移転しますが…
流れ流れてね、一番ええとこに行ったと思いますね。今は1年生が豊中キャンパスにいるから、箕面キャンパスはがらーんとして寂しい。そりゃ船場は緑は少ないしね、大きなグラウンドがあるわけでもないですけど、それでも場所は良いし、便利だし。あそこへ外国語学部だけじゃなくって、他の文系の学部がひとつでも一緒にきてくれるとちょうど良いんですよ。
ちょうど良いっていうのは?
箕面ですと孤立してるでしょう。まだ阪大とは別の大学のような感覚が抜けきらないわけです。船場に移っても外国語学部だけが移ったらまた孤立してしまうことになって、そこへ文系の学部がひとつでも一緒になっておれば、阪大のキャンパスの一部だという具合になるんじゃないかと思うんですけどね。まぁこれは、なかなか難しいと思いますけど現阪大総長の西尾先生によくお願いしておこうと思います。
その方が学生にとっても良いと。
ええ、ミックスされるから。今は、文系でも理系でもそうですけど、学部が縦割りで勉強してるんです。縦割りばっかりやっていると、トンネルビジョンとかサイロ(*6)っていうんですけどね、他のこと、横のことがわからなくなってしまうんです。大阪大学はこれが強いと僕は思います。もともとそういう生い立ちだもんね。いろんな学校が寄せ集まって統合したから、今日本で一番大きい国立大学になってるわけだけど、薬学部だって歯学部だって元は別の大学だったでしょ。最初から大阪大学だった学部なんて2つくらいしかないんじゃないかな。だからこの縦割り、サイロがものすごく強い。
*6…トンネルビジョン、サイロ マーケティング用語で、周りが見えず先に一点の光しか見えなくなること(視野が狭くなること)を『トンネルビジョン』、横との関係が薄く、自己完結化してしまうことを『サイロ化』というそうです。
そこはもっと横のつながりを強くすべきだと。
そういう面でね、船場のキャンパスに他の学部も来てね、一緒に勉強できればいいなぁと僕は思っています。大学のマネジメントの先生方は気がついていらっしゃると思います。これは大いに記事にしておいてください。
わかりました(笑)!

外国語学部生へ期待すること

少德さん、この外語マガジン『sakuya』って、読んでいただいたことはありますか?
読んできましたよ。八代田さんが「読めー」っていうから(笑)。
ありがとうございます(笑)!読んでみて、どうでしたか…?
いろんな人がいて、いろんなことを考えているなぁと。非常に多様性に富んだ人材が、学生・卒業生諸君にいらっしゃる。多様性、いろんな人材がおるっていうのはね、強みです。同質性の人ばっかり集まっとる学部よりも、いろんな人物人材が混じっておるという方が、雑種の力が発揮できると思います。温室育ちで同質の人ばっかり育てるというのは、結果として非常に弱い組織・弱い人材になります。そう強く思いますね。
いろんな人がいる、というのは、私も今まで取材してきてすごく感じたことです。外国語学部ってそもそもいろんな言語が混在する学部で…だからこそいろんな物事の考え方や見方があるってことをみんなが理解してる場所なのかなって。私、受験のときに大阪外大のパンフレットの一番最初のページに書いてあった(ように記憶している)「外大で学んだ者の頭の中には四海がある」っていう司馬遼太郎の言葉を見て、かっこいい!と思ったんです。後から気づいたんですが、それってまさに多様性ってことかなと。
外国語学部っていうのは非常に多様性に富んだ人材が集まっておる学部でね、さらに学部内にいろんな専攻語があるから、いろんな人材がいて、いろんな先生がいて。まさに多様性を地でいったような組織で、それは外国語学部の強みです。この分野では他の学部に大いに差をつけていると思います。それでも僕はまだね、―しょっちゅう接してるわけじゃないからあんまりわからないですけど―まだまだ多様性、異質なものに対する受容性っていうものは、努力の余地はあると思いますね。他の学部に比べれば断トツに先んじておるけれども、グローバルなスタンダードからすればまだだなぁという感じはします。
インタビュー風景

写真は1970年代末、ドイツでのエアコン新製品発表会の際

少德さんは、外語の多様性とか、いろんな立場を理解する力というのは、社会に出た時にどんな風に役立つと思われますか?
日本が国の運営や仕事の仕方をすべて国内で自己完結的にできた時代は既に終わって、競争がグローバルになっています。相手にする市場も周囲の関係もグローバルになっているのに、まだまだ日本全体がそれについていってない。何よりも多様性が必要とされています。それから今はやってないですけど、昔、会社の採用面接をやってたことがありました。異質なものに対しての受容性を持った人材というのは、自分と違う意見を聞いても「そやなぁ、そういう考えもあるなぁ」と思いますよね。初めから「あかん!」と思ってしまうのと、だいぶ違います。そういう理解が行き届いている方は、面接していて良いなぁと思いました。自分のことばっかりぶわーっとしゃべる人いるでしょう?それは良いのは良いんだけど、そういう人に限って自分と異なる意見をもつ人に対して許容性がなかったりする。
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ディベートで身に付く他者理解
ESSのディベートでは、同じテーマについて“yes”と“no”の両方を練習をするんです。大会ではどちら側になるかをくじで決めるんでね。それぞれについて筋立てて、ロジカルに考えて、どうプレゼンするか議論をして、それを英語で準備して…って。だからすごく良い頭の訓練になるわけですね。それから反対の立場に対する理解もできるようになりました。
なるほど。では、現役外語生に、外国語学部で何を学んで欲しいと思いますか。
これはもうはっきりしとってね。まず、専攻語学をしっかりやることです。
はい。
で、プラス、同時にね、英語専攻以外の方は英語をしっかりとやってくださいと。これは僕が英語科出身だからいうわけじゃなくって、結局世の中がそうなってしまって。外国語学部出たら英語が当然できるものと思われておって、それ以外にも他に何ができるの?と聞かれるから。
耳が痛いです(涙)。
だから、英語科の方はもうひとつ、中国語かなぁ。主専攻とそのあたりの言語を副専攻で勉強してね。英語で議論をし、ロジカルに考えてプレゼンテーションができるレベルでいいんです。流暢じゃなくても、ゆっくり正確にしゃべる。そのしゃべる内容がロジカルに考えられた内容であると。この辺が外国語学部生に望むところですよね。
インタビュー風景
はい…。
そしてひとつ目の専攻語学をしっかりやるということについてですけど、こっちの言語は道具です。コミュニケーションの道具―ツール―ですね。良い道具を持っておれば、それだけで強みなんですが、このツールを使って“何をするか”というのが重要です。例えば、専攻語プラス歴史。在学中に言語とともにその地域の専門家から歴史を学ぶことができるのは強みですから、そこから身につけた専門性でもって、ビジネスの方にいくとか、報道・マスコミの方にいくとか。教職にいくとか。いろいろ選択肢はあると思います。この“何をするか”というコンテンツをプロのレベルまで高めて、価値ある力を身につけてください。そうすると、“伝えるための立派な道具”と“プロレベルの伝えるコンテンツ”を兼ね備えて仕事ができるということになる。これが外国語学部卒業生の目指すべき姿じゃないかなぁと僕は思います。
つまり、どんな職業に就いたとしても、“仕事”をプロにして、言語は道具として持つ、ということでしょうか。
そうそう。例えば教職に就いて自分の専攻語を教える人は、生徒を育てるなかで“もっとこういう風に教えた方がいいんじゃないか”と工夫しますよね。そこからさらに後ろに下がって“学校での勉強の仕方はこうあるべきだ”とか、“教育プログラムはどうだ”とか。きっかけは言語だけかもしれませんが、仕事の発展性はいくらでもあると思うんです。例えば鳥飼玖美子さんは通訳の仕事をされている方ですが、自身の経験を生かして“語学教育とはどうあるべきか”といった本を書いて、マネジメント分野で提案もされています。こんな風に言語に関わる職業というのは、発展させるといろいろな選択肢があると思うんですよ。教職の話が先に出ましたが、メーカー、製造業の場合なら、どんな職場におっても英語や海外に関係のない仕事っていうのはないんです。例えば知的財産の管理をする部署であれば、この分野の勉強をして、弁理士の資格まで取る。そうすれば海外で交渉するときに、「知識に基づいた交渉力」と「伝えるための力(言語)」をどちらも持っていることになります。立ち止まらずに発展系を考えて身につけていくこと。僕はこれを“プロのプロたるバリュー”といっていますが、これが非常に大事で、学生諸君にはぜひ伝えたいことです。
「少德さんとお話ししてみたい!」と思った方は…

咲耶会主催のイベントに参加してみてください。新入生歓迎会や仕事カフェ(前期は7/16に開催しました)などのイベントにいらっしゃっていることが多いです。開催情報は咲耶会のFacebookで公開しています。
すごい経歴ですが、とても紳士で、気さくに話してくださいます!

(写真提供:並川嘉文)
次回更新は9月です!

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